3年生より【3年間を振り返って...】


 私は、この3年間で大切なことをたくさん学びました。バレーボールのの技術的な部分よりも、我々チームの合言葉である『心なき者に栄光なし』の通り、『心』というものの大切さを教えていただきました。周囲の人に対して心から感謝をしたり、心から思い合い気遣ったり...自分自身、心が伴った行動を取ることで、他の人々の心までも動かすことができることを知ることができました。そこで結果が出たとき、その感動をともに共有できることもわかりました。最後の春高バレーでは、我々の目標を達成すことができませんでした。しかし、この経験を含め城東高校女子バレーボール部で過ごした3年間は確実に私の人生において大きな影響を与えてくれるものとなった事は間違いありません。ここでの経験を将来の糧として、次のステップにおいてもまた、成長した自分になれるようにがんばっていきたいです。辛いこと、苦しかったことなど本当にたくさんありましたが、今このように自分がいるのは、家族、先生方、チームメイトを始め、バレーボールを通して出会うことのできたたくさんの方々に支えていただいたおかげです。今思えば、何度もくじけそうになったけれど、いつも誰かに手を差し伸べていただき、勇気付けていただきました。その強い心の支えによりバレーボールを続けてこられた3年間でした。ですので、残りの学校生活のみならず、その先の自分の人生の中で、今まで支えていただいた全ての方々に心から感謝の気持ちを持ち、できる限りの恩返しをしていきたいと思います。

 3年間本当にありがとうございました。

佐々木 美優

 私は始めの1・2年はすごく苦しみ、悩んだ時期でした。プレーも上手くいかず、毎日、コートに立てない悔しさで悩む日々でした。正直なところバレーボールをすることが辛いとさえ思った日々もありました。そんな時、いつも私を支え続けてくれたのはチームのみんなでした。「コートの中にいてくれるだけで安心する。」と言ってくれたみんながいたからこそ、いつも前向きな気持ちになれ、城東高校のリベロとしての私がここにいれたのだと思います。3年生になり、副キャプテンとしてチームを引っ張っていくことの苦労を実感し、たくさんの試練に立ち向かいました。そのたびに立ち向かい、乗り越え、勝つ喜びはもちろん、負けたときの悔しさも味わいました。しかし、この経験は、城東高校の女子バレーボール部だったからこそ経験し、味わうことができたのだと思います。今まで10年間、バレーボールを続けてきましたが、特にこの3年間は私にとって多くのことが学べた毎日でした。家族以上に多くの貴重な時間をバレーボール部院と過ごし、先生ともたくさん正面からぶつかっていきました。
 大好きなバレーボールが、多くの方々から応援していただき、出会った全ての方々の支えの中でできたことは私にとって、本当に幸せなことでした。

 今も、これからも私は『このチームが大好きだ』と自信を持って言えます。

 3年間本当にありがとうございました。
松田 葵

 私は中学時代、何度か城東高校で練習をさせていただく機会がありました。葛西先生が熱心に指導されている姿、それに応える先輩方の輝いている姿、チームの雰囲気の良さなどに魅力を感じ、入学することを決めました。私が1年生の頃、中部地区でもベスト4に入るのが精一杯でした。試合に勝てないジレンマから練習への気持ちが離れそうになったときもありました。しかしチームメイトと一緒に、あきらめずとにかく頑張りました。2年生の夏、先輩方が引退され、私たちの代になったとき、まず始めにラン・トレ(ランニングトレーニング)が待っていました。正直なところ、今までに経験したことがない程、辛く、逃げ出したくなるような練習メニューでした。しかし、汗や涙にまみれ、努力する互いの姿で、自分自身も負けられないと思い、励まし合いながら乗り越えることができました。
 その時、時を同じくして国体の代表選手の選考も行なわれていました。自分の自信のなさを見抜かれたかのように、選考からはもれる結果となりました。その時、本当に悔しくて、涙しました。それと同時に、自分の中で『城東高校のチームメイトで絶対に勝つ』という思いが強くなりました。
 夏も終わり、12月から新人戦が始まりました。中部地区では優勝することができました。そして県大会においても準優勝という結果をつかむことができました。今までの城東高校女子バレーボールチームの歴史の中で、最も良い結果を、自分たちの力で、そしてこのチームメイトで出せたことができ本当にうれしく思いました。しかし1位ではなかったので、次こそは必ず1位になろうとチームの中で話し合い、そこから更に努力しました。
 3年生になり、5月のインターハイ予選をむかえました。福岡県での開催ということもあり、出場チーム枠が2チームになり、私たちにとってのチャンスが重なりました。一進一退の試合が続きましたが、何とか代表権を獲得することができました。しかしそのときもやはり第2位という結果に終わってしまいました。
 インターハイという初の全国の舞台では、たいへん緊張もしましたが、思いっきりプレーをすることができました。私個人としては賞をいただいたのですが、チームとして結果を残すことができず、やはり悔しい思いが残る大会となりました。
 昨年選考からもれた国体の代表選手としても選ばれ、県の代表として第5位に入賞もできました。
 国体が終わりチームに戻るといよいよ春高予選に向けての準備が始まりました。3年間の集大成として試合に臨みました。しかしながら今までやってきたことを充分に出し尽くすことができず、ベスト8という結果で終了しました。
 しかし今までのこの3年間の積み重ねは必ずこれからの自分の人生に活かされていくと確信しています。仲間を思いやり、チームのために自分がどうあるべきかを考えること、そして誰もが応援して、一緒に感動していただけるチームになるために挨拶などの基本的な事柄から徹底し、常に全力プレーで頑張ってまいりました。
 いつも支えてくれたチームメイト、かげながらいつも見守ってくれた両親、それから会場でいつも応援をしていただき、試合を後押ししていただいた全ての方々に感謝しています。
 そして何よりも弱虫な私を変えて、ここまでにしてくれた城東高校バレー部、葛西先生には感謝しても感謝しきれません。最後の大会で全国への切符を逃したので、今後のバレー人生を通して恩返ししたいと思います。
 城東高校でバレーボールができたこと、かけがえのないチームメイトと一緒にプレーできたこと、葛西先生からバレーボールを学んだこと誇りに思います。これからは城東高校で学んだことを活かし、私の夢の実現させ、胸を張って城東高校に戻ってきます。

 今までお世話になった全ての方々、3年間本当にありがとうございました。

齊藤 望

 私は最初、福岡でバレーボールをする環境の変化に大変戸惑いました。バレーボールに対する考え方はもちろん、何もかもが中学生までとは違い、本当に苦しい思いをしました。                  まずは初めての寮生活です。寮内には女子バレーボール部の先輩はおられず、違う部活動の先輩との同室でした。活動時間の違いから、どうしても一人の時間が多く、多少孤独な寮での1年間でした。今の後輩たちは本当に恵まれています。話を聞いてくれる仲間が一緒にいてくれる。しかし私がその礎を築くことができたことを誇りにも思います。        2年生になると後輩ができ、面倒を見ることは勿論のこと、自分の練習も含めなれない中での1年間でした。先輩方が引退された後、夏のラン・トレが始まると本当に辛かったことを思い出します。しかしへとへとに疲れて寮の部屋に帰る途中に後輩たちと様々な話をする時間が、私はとても好きでした。このラン・トレのおかげで今の2・3年生の絆は更に深いものとなりました。
 2年生の新人戦の地区大会では手にケガをしてしまいました。大事な試合にも出ることができず、あの時期は本当に辛く苦しい時期でした。
 その年の暮れから熊本県天草市での合宿に参加しました。全員、大晦日まで本当にバレーボールをし続けました。様々な思いを胸に臨んだ新人戦県大会。そこではじめて2位になることができました。
 最上級生となりはじめてむかえた地区大会では何とか優勝することができました。
 その後九州大会などでも一喜一憂する結果が続きました。
 春高の予選では思うような結果を残すことができず本当に残念で仕方ありません。この思いを後輩たちに託していきたいと思います。
 とにかくこの城東高校での3年間は様々なことがありました。今思うと城東高校の女子バレーボール部に入部できたことは本当に良かったと感じます。城東高校を紹介してくださった中学の時代の恩師の宮崎先生、私立高校でなおかつ寮生活を快く許してくれた私の両親、感謝してもし尽くせません。特に両親は相当な経済的負担をかけているのに、会えば必ず『頑張れ!!』と励ましてくれました。本当にうれしい一言に支えられてきました。残りの高校生活では自分のできる限りの恩返しを学校に、チームに、先生にしていきたいと思います。

3年間本当にありがとうございました。

諸富 美穂